社を挙げてのリスキリング、その中身は
先日、知り合いの企業で「これからはリスキリングが必要だ」と、社を挙げて取り組むことが決まったそうです。
各部門で「必要だとわかってはいたけれど、取り組めていなかったこと」を洗い出し、まずは勉強会からスタート。そして、その成果を測るためのゴールとして「資格を取ろう」——そういう流れになりました。
一見、筋の通った話に聞こえます。目標があり、測定可能なゴールがある。企画書としては満点かもしれません。
でも、私はここで立ち止まってしまいました。
え、これって、そもそも「必要だと思っていること」が、これからは「必要でなくなること」なんじ�ゃないのかな。
「リスキリング」がいつのまにか「テスト勉強」に化ける
何が起きているのか、整理するとこうなります。
リスキリング=勉強。勉強=学校で習ったあの勉強法。つまり、テストに合格するための勉強法。
「学び直そう」という新しい掛け声が、いつのまにか、私たちが一番慣れ親しんだ「暗記して、問題を解いて、合格点を取る」という古いやり方に着地してしまう。新しいことをやろうとしているのに、手段は昔のまま。これは私たちの思考の癖なのかもしれません。測りやすいもの、慣れているものに、つい引き寄せられてしまうのです。
しかし、これからの時代はAIを使うことが当たり前になる時代です。
その勉強法で、本当にいいですか? と、私は言いたいのです。
知識を正確に記憶し、決まった形式の問いに素早く正確に答える——資格試験で測られるこの能力は、まさにAIが最も得意とする領域です。つまり、この勉強で身につくものは、そのほとんどがAIで代替できることなのです。AIの時代に備えるためのリスキリングで、AIに置き換えられる能力を磨いている。この皮肉に、私たちは気づくべきではないでしょうか。
学校教育を否定したいわけではない
誤解のないように書いておくと、いままでの学校教育が不必要だと言いたいわけではありません。読み書きや計算、体系的な知識の土台がなければ、AIの出力が正しいかどうかの見当すらつきません。基礎はやはり大事です。
ただ、その先です。私たちは「勉強とはこういうものだ」という一つのやり方しか知らないまま大人になり、そのやり方を疑わずに「学び直し」にも適用しようとしている。ここは再考しないといけない時期に来ているのではないでしょうか。
正確な回答を素早く出すことが価値になる仕事は、これからも一定数残るでしょう。そういう仕事では、従来の勉強法で鍛えた能力が引き続き求められるはずです。しかし、そうではない仕事——おそらく大半の仕事では、求められる能力の中身が変わっていきます。
では、人は何をすべきなのか
私が考える、これからの人の役割は三つあります。
一つ目は、AIが出力したものを判断すること。AIは驚くほど流暢に、もっともらしい答えを返してきます。それを鵜呑みにするのか、疑うのか、どの文脈でどう使うのか。この判断は人にしかできません。
二つ目は、その判断に責任を取ること。AIは責任を取れません。「AIがそう言ったので」は、仕事の世界では通用しない。最終的に「私がこう判断した」と言える人間が、これからますます価値を持つはずです。
三つ目は、信用を積み重ねて、信頼を築くこと。どれだけAIが進化しても、仕事は人と人との間で動きます。約束を守る、誠実に向き合う、小さな信用をこつこつと積み重ねる。その先にしか信頼は生まれません。これはどんな資格試験でも測れない能力です。
「みんなで考えること」自体が、最初のリスキリング
判断力、責任を引き受ける覚悟、信頼を築く力。
これらは、テキストを読んで問題集を解けば身につくものではありません。では、どうやって身につけるのか——正直に言えば、私にも決まった答えはありません。
だからこそ、その方法を皆で考えることが必要になっていると思うのです。
「何を学ぶべきか」「どう学ぶべきか」を、上から与えられた資格リストで済ませるのではなく、自分たちの頭で問い直す。もしかしたら、その問い直しのプロセスこそが、AI時代における最初の、そして最も重要なリスキリングなのかもしれません。
勉強会をやるなとは言いません。資格が無駄だとも言いません。ただ、その前に一度だけ、こう問いかけてみたいのです。
「私たちがこれから学ぼうとしていることは、AIにできないことですか?」